桃が好き

はてダからの移行をとうとう決行したのだ

再会

昨日、仕事を終えて同僚と連れだってとある食事会が開かれる焼き鳥屋へ向かった。

お店の前には既に参加メンバーである男性が到着していて、私たちが着くのを待っていてくださった。

 

男性は、今年の1月くも膜下出血で急逝した同期のご主人。

お会いするのは葬儀以来。

先日、ご自宅に電話をして、もし良ければ・・・とお誘いしたところ、快諾いただいて、昨日の食事会をセッティングさせていただいた。

 お子の体調不良で長期で仕事を休んでいた私に同期の1人から電話連絡があったのは今年の1月。

「〇〇ちゃんが入院したらしいけれど、職場では詳細を教えてもらえない。でも同期全員胸騒ぎがして状況を知りたいけれど、どうしたらいいだろう」という内容だった。

 

丁度その半年程前の昨年夏、難病指定を受けたお子さんが退院し、看病の為の休職後、職場に復帰した〇〇ちゃんのお疲れ様会を開こうと企画して、まだ多少の不安が残る中だったので、すぐに自宅に戻れる範囲でと彼女の自宅近く=私の実家近くの焼き鳥屋を会場に選んだところ、ご主人も参加してくださった。お子さんの闘病の様子やご夫妻の馴れ初め、普段のご家庭の様子、私たちの職場の様子なんかを話しながら和やかな時間を過ごした。

ご主人とはお店や食べ物の好みが合って、また次回是非ご一緒しましょうとお別れして、その後間もなく私はお子の体調不良で仕事の長期離脱をすることになってしまった。

その間も、彼女は自身の体験から子供の看病にあたっている私を気遣って、時折LINEで連絡をくれていて、私は随分救われていたのだけれど、その彼女が入院をしてしまったらしいという連絡だった。

 

報告を受けて、「ご主人とも面識があるからご自宅に連絡をして差し支えのない範囲で状況を伺ってみるね」と役割を引き受けた時、まだ私は全く覚悟が足りないままで、いざ連絡をしてご主人から詳細を伺った時の衝撃は今でも忘れることができない。

 

その電話以来、毎日必死に祈り続けたけれど、願いは届かず、3日後彼女は天国へ旅立ってしまった。

人生初だった弔辞の大役も、出来ることならもう2度と体験したくない程辛いもので、もちろん今までも親族との別れは何度か体験していたのに、それとは全く別の辛さは、心の準備もできないまま、昨年の夏以来再会が叶わないままのお別れなってしまったからかもしれない。

 

今回、当時はお互いに話せなかった様々なことを改めて話すことが出来た。

現在のご家族の様子や、倒れた当時の彼女のことを伺ったり、逆に私たちだけが知っている彼女のことを伝えることも出来て、時に思い出しては悲しくて涙をしながら、ご主人が持ってきてくださった笑顔の彼女が写る沢山の写真に懐かしく笑いながらの濃密な時間だった。

 

今年受験生のお子さんも塾を終えてから参加してくださった。

吹奏楽部に所属していたお子さんへ奇しくも彼女から最後のプレゼントとなったクラリネットの話もたくさん話して、地区大会金賞の結果にきっと彼女もとても喜んでいるねと乾杯をした。

 

ご主人とはLINEの交換もして、また時折こうしてお酒を飲みましょうねと話してお別れした。

 

帰宅後、残されている彼女のLINEアカウント宛に報告の書き込みをした。

きっと、あの場に一緒にいて笑いながら話を聞いていてくれたと思う。

今も思い出すと涙が出るけれど、少し心の整理ができて前に進めた気がする。